種子島のプチ情報を発信しています
あれから数々の農作業を経験し、一通りの農機具を使いこなせます。
もう前田社長ったら流石です!! やっぱり なんでもできちゃう
適期管理と夏場に鎌1本で通った草取り効果もあり、立派なサトウキビとなりました。
昨年9月初めの台風10号通過後はサトウキビが半倒伏し圃場に入れない状況に
「手が掛からないほど成長した子を持つ親の寂しさに似ている」との事
せしぃにちぇ、ぎょうぎんよかおーぎえぇ~
(作付者に似て、行儀の良いサトウキビだこと)
気になる成績はなんと、8,472kg/10a 平均単収を上回りました。
しかし、収支表を見た感想は社長曰く、某CM松坂桃李の自給自足生活と同じ「これだけ?」
作業は全て当社農産課へ委託し、講習料込みの金額を支払いました。
昨年に赤字覚悟とは言ったものの、やはり辛いようです。
収支の結果からもこの1年で得たものは、生産者の大変さを経験できたこと。
農業を生業とするなら作付面積は5町歩以上の大型化が必要、しかし適期管理をするには限られた期間に作業が集中し大型生産者になるほど手が回らなくなってしまう。
この経験を活かし、今後サトウキビ業界に良いアイディアを提供頂けるものと思います。
農業にも賃金アップがあればいいなぁ、、、
あっ!前田社長はまだまだサトウキビを作り続けますので、ご声援宜しくお願いします。
令和2年2月11日 ”あのひと”がサトウキビ農家となりました。
中種子町畠田集落に畑を借り、頭には帽子、服装はヤッケ、手袋に雨靴。
良く似合ってますね。
そうです。”あのひと”とは当社の前田社長です。
サトウキビ栽培の大変さを知り、栽培面積の維持拡大に向けた細やかな自助努力ということで、なんと社長自ら一次産業側にも立ったのです。
その日、全茎式プランターを用いてサトウキビの植え付け作業を行い、前田社長は主に苗を投入する作業をしました。苗の投入は2人作業のため、タイミングを合わせるのが難しく、最初の数畝は苗の投入量が多かったり少なかったりだったとか、、、、
作業も中盤になると、前田社長はテキパキとプランターに苗や肥料を積み込み、慣れた様子。
もう前田社長ったら流石です!!なんでもできちゃう
もちろん農務部(加勢人)の段取りが良く、作業は効率的に進み、2反8畝の圃場を植え付けからマルチ被覆作業まで4時間弱で終えることができました。
ちなみに、トラクターの後に取り付けているのが全茎式プランターです。
この1台で畝立てから苗裁断・苗植え・肥料・殺虫剤・覆土・除草剤散布までできる優れもの。
そして、トラクターのオペレーターも畝のように真っ直ぐな人です。
(驚いた!なんて真っ直ぐな畝なんだろう)
前田社長の目標は
”初年度赤字覚悟、2年目で収支トントンになるくらいの単収は目指したい”
・・・ということは社長は種子島にあと最短2~3年はおるなぁ
これからの管理作業では、どの時期にどの機械をどう使うのか、是非教えて欲しいそうです。
みなさんも前田社長を見かけましたら、アドバイスや応援等よろしくお願いします。
ハカマ焼却により後のマルチ掛け作業を容易にすることに加え、焼いた後の灰を土壌にすきこむことで、土壌のペーハーをさとうきびに好ましい中性に近づける効果も期待できます。
種子島の畑はほとんどが酸性に傾いており、石灰の散布が推奨されています。
全てが灰になり、畑全体の土を機械で混ぜこんだ後に、畝の上の部分を平らに均します。
この作業を「株揃え」といいます。
これを株出しと言い、植付けの手間とコストを省略できます。
キビ作の最大のメリットといえます。
現代のさとうきび農業は、植付けから収穫まで機械による作業が主流で、それにより大規模栽培が可能になりました。
機械による収穫は、下の図のようになります。
①全ての茎を揃えることで、有利不利がなくなり、次年度の生長が一律になる。
②畝の高さを下げることで、その後の機械作業を容易にする。
③植えてある苗を地表に近づけることで、地温が上がり、発芽を促進する
などの目的があります。
地中に植えてある苗ですが、更に一手間加えて発芽を促進します。
種子島では新植の畑でよく見られるマルチ被覆(その2を参照)ですが、株出しではそれほど多くは見られません。Y君も被覆しませんでした。 ここから先は昨年と同様に薬剤の噴霧や雑草を取り除く作業を行います。
写真は10月下旬に撮影した写真で、台風通過後1ヶ月程経過していますが、痛んだ葉が白く変色していたり、全体的に倒伏が見られます。
台風で傷んだ葉も日光を浴びることで緑色に回復しました。
冬季の種子島は、季節風の影響により最大瞬間風速20m/sを記録することは珍しくありません。
冬場の冷気と強風により、葉はくすんだ色に変色していきます。
日中と日没後の寒暖の差により、さとうきびは糖分を蓄えていくと考えられています。
種子島には2,000ha超のさとうきび畑がありますが、最初に出荷されるのは
廃耕農場(株出しを2~3年継続したため、次年度は別の作物を植える予定の畑)から刈り取られていきます。
Y君の畑のさとうきびも十分に糖分を蓄え、後は収穫を待つのみとなっていきます。
以上、7回+3回でご紹介したY君のさとうきび作りの様子です。
なおY君は来年の収穫に向けて更に別の畑を借りており、さとうきび作りに励むとのです。
Y君はハーベスターで収穫することを選択しました。
機械で刈り取り、右の写真のように30cm位にカットして、精脱施設というところへ運ばれていきます。
精脱施設では、トラッシュと呼ばれる、糖分をあまり含まない部分を手作業で選別します。
かなり早いスピードでコンベアが動いていますので、初めてその様子を見た人は目が回ります。
なお、選別されたトラッシュのうち、梢頭部は牛の餌になります。
さとうきびは捨てるところがありません。
左の写真に、さとうきびの枯葉(種子島ではハカマといいます)が畑に残っていますが、これも捨てません、使います。その様子は次回。
精脱施設で選別されたY君のさとうきびは、重量・糖度・トラッシュ率(実際にさとうきびの中を開き、虫食い部があった場合などは、
その部分もトラッシュとして処理されます。厳しい!)をそれぞれ測ります。
では、それぞれの数値をご覧ください。
糖 度・・・9.9(4/4時点 平均11.1)
重 量・・・28,717kg
トラッシュ率・・・2.1%(4/4時点 機械刈りトラッシュ率平均3.11%)
『反収』という言葉があります。
10a(これが一反です)あたりの収穫高を表しているのですが、
Y君の畑は38a、対して、重量が28,717kgですので、整理しますと、
反 収・・・7,557kg(3/16時点 種子島全島平均約5,000kg)
平均以上の成績となりました。
反収は限られた畑をどれだけ有効に使えているかという指標ですので、多ければ多い程良く、Y君の努力が結実していると言ってよさそうです。
反収が良い畑は、手がかかっていますので、糖度も平均より上の数値になる傾向があります。
しかし、Y君の場合は糖度が芳しくありません。
これは、秋の台風で葉が痛んだことが原因でしょう。
お金の話なのであまり声高には言えませんが、Y君は約50万程の粗収益を得たことになります。
ここから刈取り委託料や肥料代金等の費用を差し引いても、マイナスになることはなさそうです。
次回は最終回、来年に向けての作業風景をご紹介します。
被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。
前回ご紹介の通り、さとうきびは強い作物です。
上の写真のように風で倒れても、上のほうに伸びようとします。
しかし、気温の下がった秋の台風は少々厄介です。
さとうきびは気温がおおよそ20℃前半より高ければ、上に伸びるものと考えられています。
では、それより気温が低くなると、今度は甘くなろう(これを登熟といいます)とします。
寒暖の差が厳しいと、その分登熟が進むと考えられています。
種子島でも朝晩はすっかり寒くなりました。
普通であれば順調に登熟するところですが、台風によりダメージを受けると、さとうきびはその回復を優先させるため、夏であれば伸長を、この時期であれば登熟を鈍化させます。
夏は日が射すのでいくらでも回復できますが、冬は日照時間も少なくなるため、回復に日数を要します。
今年は台風の影響で葉が少なく、現在では糖度の上昇も鈍い状況と思われます。
そのため、秋の台風はあまり歓迎されません(別に夏も歓迎していません)。
さて、ここ最近は気が滅入る様な台風被害ばかりをご案内してきました。
畑での作業としては、雑草むしりくらいですので、割愛をさせて頂きました。
弊社の操業開始も近づいてきておりますので、次回は収穫編をご紹介したいと思います。
最大瞬間風速は40.0m/secを記録しています。
前回の台風5号から1ヶ月。徐々に回復を見せていたさとうきびですが、強風により再び倒れてしまいました。
また、葉部の裂傷も見られます。
左の写真は台風直後に撮影したものですので、まだ潮害は出ていません。
海に近い一部圃場では潮害が見受けられますが、台風数日後に雨が降りましたので、深刻化はしないと思われます。
いずれにせよ、さとうきびに良い影響を与える天候が続くことを期待したいと思います。
さて、さとうきびは竹の子と似たような節(ふし)が存在します。
竹の子は『雨後の筍』という言葉通り、雨の後はすべての節が伸びるため、たった一日で急速に生長します。
ところがさとうきびは節が1つひとつ、長い時間をかけて伸びていきます。
節の間隔は大体等しい間隔なのですが、右側の写真のようにある節だけ短くなることがあります。
これは、前回の台風により葉部裂傷や倒伏によるダメージを受け、それを回復するために多大なエネルギーを使ったストレスがさとうきびに表れているものと考えられています。
他にも干ばつなどが原因で同様の症状が見られることもあります。
強いストレスを受けると身体に影響が出る、人間と同じですね。
また、写真ではわかりづらいですが、上の方の節から芽が出ています。
これもダメージによる反応で、ストレスを与えると生存本能が刺激されるようです。
今回は台風18号の被害の様子と、人間くさいところもあるさとうきびをご紹介しました。
種子島では最大瞬間風速36.3m/s、降水量244.5mm(8月3~6日)を記録しています。
上の写真が台風の前後を撮影したものですが、まず目を引くのが葉部の白さです。
これは、台風により海水(潮)が舞い上がり、さとうきびに付着した際に起きる現象です。
また、葉自体も損傷を受けています。これは、強風により葉が裂けてしまったためです。
葉部で光合成を行いますので、葉が回復しなければ、生長はとまってしまいます。
さとうきび自体もいろんな方向に曲がっています。
強い風に吹かれるとさとうきびも倒れてしまいます。
台風直後の写真と比較して、葉の状態(色・形)もよく、また、倒れていたさとうきびも上に伸びようとしているのがわかるかと思います。
台風前と比肩する、とまでは言い切れませんが、幾分かは回復したと言えそうです。
さとうきびは、茎が折れない限りは生長をしようとします。
ただ、光合成を行う葉部にダメージがある場合は、まずは葉部の回復を行いますので、その分生育・生長は遅くなります。
7月末日での1日あたり伸長量は3.63cm/日と良好でしたが、台風5号通過後の8月平均では1.69cm/日というデータとなりました。
生育旺盛期に手痛い損傷でしたが、これからの天候に期待したいと思います。
第4回に掲載した左の写真(撮影日:5月22日)と比較して、大分さとうきびらしくなってきたことがわかります。
この時期(生育旺盛期)から9月末位までは一日で3cm超ほど生長します。
それ以降も生長はしますが、一日で1cmほどになります。
大きくなれば必然的に重くなります。
出荷されたさとうきびは糖度毎の単価×(トラッシュ=不要部を引いた)重量という式で買取価格が決まりますので、この時期の生育は重要です。
「追肥」と呼ばれる作業で、2度目の肥料散布(1度目はマルチを張る前に散布済み)を、小さな耕運機を改造して、半自動で供給できるようにしてあります。
余談ですが、農家さんは手先が器用な人が多く、何でも自作で間に合わせてしまいます。
私のような不器用な人間にはとてもできません。
撒いている肥料は窒素とカリウムの配合肥料です。
また、農作物には害虫という大敵がおり、対策をしておかないと被害が甚大になります。右の写真は7月14日撮影で、メイチュウ類の対策に殺虫剤を葉面散布しているところです。
葉っぱの表面に散布された薬の成分は、茎まで浸透し、中に潜んでいる害虫にも効果がある優れモノです。
天候にも恵まれましたので、わずか2~3週間の間でかなり生長しています。
Y君(180cm)の背丈を優に越すほどまでになりました。
前回説明したように、さとうきびは最終的に2~3m近くまで生長しますので、ある程度上に伸びたら土台(畝)を補強してあげる必要があります。
管理機が通った後は、右の写真のようになります。
畝間の土を管理機で寄せ上げて畝にかけます。
また、畝間に生えた雑草も処理することができました。
次回は特別編として、8月5日~6日に襲来した台風後のさとうきびの様子を掲載したいと思います。
「うね」。「畝」と書きます。畑の中で、作物が植えてある箇所の土を高く積むことで、水はけを良くしたり、作業性を良くする効果があります。
高くなっているからといって、そこを歩くと怒られます。
さて、写真は記念すべき「キビ作ドキュメント その1」に掲載した写真です。
キビマルチ(中央のビニール)の下に原料茎が植えてあります。
ここまで書けば勘の良い方ならお分かりかと思いますが、苗が植えてある部分が低くなっています。
なぜでしょうか。
最初から高い畝を作ってしまうと、台風など強い風が吹いた時にさとうきびが倒れてしまいます。
ですから、最初は周囲より低い位置に植えて、生長に合わせて少しずつ畝間の土を寄せていきます。
これを「培土」と言います。
「培土」を行うことでさとうきびは直立に近い状態を保つことができ、上から下までより多くの日光を受けることで健全なさとうきびとなり、収量・品質UPにも繋がります。 「培土」を行うためには、土が軟らかくないといけません。
植付けから数ヶ月経っており、畑に入る度に畝間を踏んでいるわけですから、土は固くなっています。
この時期に畝間を耕す作業を「中耕」(ちゅうこう)といいます。
その昔は牛に曳かせたり馬に曳かせたりしていた畑仕事ですが、文明の利器「耕運機」がありますので、大変便利。
右の写真のように、耕した後の土は色が変わっているのがわかるかと思います。
また、中耕には雑草の繁茂を抑える狙いがあります。
雑草はどこからともなく生えてくるように見えますが、正確には可視できない雑草の種が畑の地表近くにあります。
中耕により、地表近くの種を地中に埋めてしまいます。
いくら雑草でも、日光がなければ生長することはできません。
「中耕」は、まさに一石二鳥の管理作業といえます。
脱輪もしましたが、無事終了しました。
次回は「追肥・培土」の様子をお伝えします。
旅先で文化の違いに驚くことも少なくありません。
流通や情報伝達手段が発達した現代で手に入らない物はそうそうありませんが、知らない物は調べようがありません。
そこで、このコーナーでは皆様が恐らくご存知ないであろう、種子島の季節の食べ物を紹介していきたいと思います。
第1回は「ニガタケ」。正式名称は「リュウキュウチク」というそうです。
秋にも獲れますが、春先~梅雨前の今が最盛期です。
「何はなくてもニガタケだけは食べたい!」という人がいるほど熱烈なファンをもつこのニガタケ。
たけのこの一種ですが、なんとアク抜きの必要がありません。
普通のたけのこより細長く、身が柔らかいのが特徴です。また、名前は「ニガタケ」ですが、陽のあたらない場所で育ったものは苦味がなく、ほんのりと甘さを感じます。
代表的な食べ方は、皮を剥いて、先の部分をてんぷらに。これが一番。
下の少し硬い部分は味噌汁に入れたり、煮物にして食べます。
また、皮ごと蒸す、湯がいてマヨネーズをつけて食べるなど。
冷蔵をすれば輸送が可能ということで、地元行政が生産・販売体制を整えようとする動きもあります。
皆様も機会があればご賞味頂ければと思います。
北海道生まれのY君は帰省しておりましたので、共同経営者のF君親子が剥がしている様子です。
キビマルチの材質はプラスチックですので、家で燃やしたりすることは禁じられております。
となると業者様に処分をお願いすることになります。
キビマルチをかければ収量がアップすることは間違いないのですが、その分手間がかかります。少しでも負担感を減らしてキビマルチをかけて貰うため、処分費用は弊社が負担しております。
キビマルチは泥を落とし、乾燥させた後、処分業者へ持ち込んで頂きます。
さとうきびは一度植えてしまえば2~3年は同じ苗で収穫できる作物なのですが、芽が痛んでいたり、土が固くなっていた場合は、芽が出にくくなります。芽が出ない部分はロスとなり、一円にもなりません。
その部分には補植という作業を行います。
これをしてあげることで、反収(1haあたりの収量)を多く確保することができ、収益も多くなります。
新植(新しい苗を植えること。1年目)にこの作業を行えば、2年目~3年目も効果がありますので、効果は3倍ということになります。
次回は、中耕という作業を行います。
写真は、4月23日に撮影したものです。ポツポツと芽が出始めてるのがわかるかと思います。
キビマルチをかけることで茎が埋まっている部分の温度があがるため、生長を促す効果があるのですが、かけたまま何もしないというわけではありません。
4月も中旬を過ぎると気温も上がってくるため、キビマルチのなかは蒸し風呂状態(50℃超)となり、いくら暑さに強いさとうきびでも茹で上がってしまいます。
通風性を良くしてキビマルチ内の温度を適温に調整するため、鎌で穴を開けました。写真の中心付近に切れ込みが入っているのがわかるかと思います。
基本的にはさとうきび自身の力でキビマルチを突き破って芽は出てきます。ただ、キビマルチ自体に弛みがある場合はキビマルチにかかる力が分散されるため突き破ることができず、キビマルチの中で葉が丸まってしまうこともあります。
しかし、丸まった葉もキビマルチ撤去後には元通りになるため、問題はありません。
次第に気温も高くなり、芽が出揃った5月上旬にはキビマルチを剥がす作業へと続きます。
北海道生まれでさとうきびとは無縁の人生のようですが、九州の大学で農業を学び、縁あって現在は農務部で業務に励んでおります。
そんな彼ですが、この度さとうきび作りを始めることになりました。
共同経営者兼技術指南役兼農機具レッサーとして、同期入社で種子島育ちのF君親子のバックアップ
を受けて、2月末に植付けを完了。
種子島独自の「キビマルチ」をかけて、発芽を促しています。
写真は3月中旬頃に撮影したものですが、まだ芽は出ていません。
畑は所有者の方が高齢により離農したものをお借りしております。
ちなみに農地は約40a、作業条件に恵まれた畑で向いの端まで約120mもあります。
彼の奮闘を通じて、キビ作の1年を追って行きたいと思います。
最終回である今回は、今後の夢や目標について伺いました。
(筆者) 2020年の東京五輪では、正式種目に決まったサーフィンですが、やっぱり、出たいですよね?
(喬士郎) 出たいですね。どれだけ通用するかわかりませんが、引っ掻き回したいですね。
(筆者) 選考基準などは、決まっているんですか?
(喬士郎)まだですね。どんな風になるかわかりませんが、実績を積むしかないですね。
(筆者) なるほど。プロにはならないんですか?
(喬士郎)いろいろ基準がありますんで、プロに勝たないといけないとかですね。
(筆者) ハードルが高いですね。那月さんはどうですか?
(那月) 出てみたいという気持ちはありますけど、別に目標があります。
(筆者) といいますと?
(那月) 女性で、ショートボードでプロとして登録しているのは、世界で1,000人くらいいると
思うのですが、その中でトップ17名が「ワールドツアー」として
各国のツアーに回る資格を有します。
日本人でそこに入った人はいませんので、そこを目標にしたいですね。
(筆者) なるほど、それはすごいですね。ちなみに今は那月さんは何位くらいなんですか?
(那月) 67位ですね。(※2016年12月26日現在)
来年は25位を目標にしたいです。
(筆者) 凄いですね!世界で上から数えたほうが早いです。
それではお二人に最後の質問です。
種子島でアピールするポイントはさまざまあると思うのですが、種子島って
どんなところが魅力的でしょうか?
(那月) さとうきびとかですね。毎日見てますから。あとは、安納いもにロケット、海・・・
(喬士郎)あとは、人が優しいとか。
(那月) 行きたい島ランキングとかでは順位が高いんですけどね。
東京~種子島便とかあればいいんですが・・・
(※筆者注 シーズン限定ですが、大阪~種子島便の飛行機はあります)
(筆者) そうですね。やはり実際に来てみないとわからないと思います。
お忙しい中、お時間を頂き、ありがとうございました。
喬士郎さんは中学生とは思えない程はきはきと自分の考えを話してくれました。
那月さんは、内に秘めた思いが強い人なんだと思います。
厳しいプロの世界で闘うということの大変さが伝わってきました。
これからも種子島を拠点に世界を相手に闘う須田姉弟を応援していきたいと思います。
今回は、種子島の魅力について伺ってみました。
(筆者) お二人は、生まれも育ちも種子島ですか?
(姉弟) そうです。親は本土からの移住者ですが、私たちは種子島生まれです。
(筆者) お二人とも大会で国内国外問わずいろいろな場所に行かれているそうですが、種子島の海の
魅力を教えて頂けますか?
(那月) やっぱり綺麗ですよ。
(喬士郎)そうですね。ごみが少ないからじゃないですかね?
(那月) それもあると思います。ほかの海は、全部ではないでしょうけど濁ってますよ。
あとは、身近に海があることですかね。
東側がだめなら、西側の海に行ったりしますし。
(筆者) なるほど、確かに、海を見たことがないという人も日本にはいるでしょうからね。
身近にあるというのは、凄いことなのかもしれません。
それでは、海に限らず、種子島の魅力とは?
(那月) 星がきれいですよ。夜は静かですし。あと、南の島の割には四季があることですかね。
(筆者) 四季がある?
(那月) 南の島って、常夏のイメージですけど、種子島は冬は風が吹いて寒いですし。
秋や春も感じます。風向きが変わったり。
(筆者) 四季の味もありますしね。なるほど、言われれば確かにそうかもしれません。
(喬士郎)あと、人のやさしさですかね。やっぱり都会に行ったりすると感じますね。
ぶつかっても、何もいわないですしね。あと、サーフボードもって電車とか、
気が引けますよね。
(筆者) それは・・・まあそうかもしれませんね。身長くらいありますからね。
やっぱり同じ競技者だからでしょうか、お二人は大変仲がいいですよね。
那月さんから見て、喬士郎さんはどんな存在ですか?
(那月) やっぱりライバルですよね。
(喬士郎)そうですね。出る大会の階級(年齢別)も違いますけど。
(那月) 練習も一緒にしますし。ただ、練習内容は別ですけど。
(喬士郎)切磋琢磨する関係ですね。種子島って限られた場所で、身近にライバルがいるのは
ありがたいことです。
(筆者) お互いが刺激し合える関係ですね。
次回は、今後の夢や目標、そして種子島について質問したいと思います。
今回は、種子島でも有名なサーファー姉弟の須田那月さん、喬士郎さんにインタビューをしました。
那月さんは種子島を拠点にプロで活躍中のサーファーで、喬士郎さんは島内の中学に通う学生です。
(筆者) こんにちは。喬士郎さんとは初めてですね、はじめまして。今おいくつですか?
(喬士郎)今は15歳で、中学3年生です。
(筆者) 多忙な時期に時間を頂きありがとうございます。那月さんはJPSA(日本プロサーフィン連盟)
所属のプロということで、お忙しい中ありがとうございます。
種子島では有名なお二人ですが、まずサーフィンを始めたきっかけはなんだったんですか?
(那月) 『よいらーいき』(種子島弁で「協力し合って」)という、町主催のスポーツクラブがある
のですが、そこで11歳から初めてそのまま熱中して、という感じですね。
(筆者) それからは一度も挫折はしなかったんですか?嫌になったり?
(那月) なかったですね。
(筆者) それはすごいですね。喬士郎さんは何歳くらいから始めたんですか?
(喬士郎)物心着いたときからですね。2~3歳からはサーフボードに乗ってました。
(筆者) すごいですね!物心着いたときからずっとですか。やめようとは思わなかったんですか?
(喬士郎)小学校高学年のときは、一時的に飽きましたね。サッカーとか野球をしてた時期も
ありますけど、試合には継続して出てました。
(筆者) お二人ともずっと夢中なんですね。
プレイヤーとしてサーフィンの魅力とは、なんでしょう?
(那月) 自然の中でするスポーツ、というところでしょうね。競技場を借りたりする必要も
ありません。すぐに気軽にできます。ただ、自然相手ですので危険もあります。
初めての人は絶対インストラクターの人についてもらった方がいいですね。
(喬士郎)風を切る感じがして、好きです。独特な浮遊感もあります。全身を使っている
という感じがたまりません。
(筆者) なるほど。2020年の東京五輪で正式種目になったということもあり、
これからテレビ放送などの機会も増えると思うのですが、サーフィンをしたことがない人も
大勢いると思います。どんなところに注目してみればいいでしょうか?
(那月) サーフィンは技を競い合うスポーツです。スピードや美しさなどが採点基準に
なるのですが、技と技の連携がスムーズだとか、波に対しての角度、また、波の
切り方というか、白泡がたくさんでているか、というのも、加点対象となります。
(喬士郎)やはり、魅せるスポーツですので。あとは、プレイヤーの個性というか、スタイルの違い
がありますね。これを説明するのは難しいのですが・・・まあ、キャラ付けというか、
最近のトッププロは、成績順で好きな背番号をつけることができるようになりました。
サッカーや野球のように、この番号といえばこの選手、といったような観戦の仕方が
できるようになりました。
(筆者) なるほど、巨人松井は55番、といったような感じですね。
次回は、種子島の魅力について聞いてみたいと思います。
島外出身者で、趣味がサーフィンで有名な弊社製造部の高橋さんに、サーフィンや種子島の魅力についてインタビューしました。(上の写真で素晴らしい波乗りを披露しているのが高橋さんです)
(筆者)おつかれさまです。高橋さんがサーフィンを始めたきっかけについて教えてください。
(高橋)20歳のとき、友人の勧めで始めました。
(筆者)サーフィンの魅力とはなんでしょう?
(高橋)傍から見るのと比べて、実際にやってみると難しかったことです。
できなかったことができるようになるのが楽しかったですね。
また、いい波に乗るために、オーストラリアやインドネシアに行ったこともあります。
(筆者)いろいろな国の海と比べて、種子島の海はどうですか?
(高橋)水が綺麗で、混雑もしないし、サーフィン向きの海です。
海外並みの波も来ます。
(筆者)島外出身者として、種子島の魅力とはなんでしょう?
(高橋)皆さん人柄がいいところです。
近所の人とのつながりが強く、皆さんの面倒見もよい、都会にはない暖かさだと思います。
また、自然に囲まれて生活しているので、不便なときもありますが、
逆に、不便もまた楽しめる、ということも魅力のひとつです。
サーフィンのほかにも、魚釣りでも有名ですし、農業など、
できることはたくさんありますよ。
(筆者)では最後に、サーフィンが東京五輪の正式種目になったことについて、どう思われますか?
(高橋)会場や合宿場として誘致できれば、種子島のPRや活性化にも繋がることがあると思います。
また、種子島から出場を目指している人もいます。活躍を楽しみにしています。
(筆者)ありがとうございました。
昼休みやアフターファイブの練習も虚しく、全敗という結果に終わりましたが、チームワークはばっちりでした。
来年こそは1勝を目指して、頑張ってください。
出場された方々、おつかれさまでした。
種子島は昔からウミガメの産卵地として知られています。
平成25年には中種子町の西海岸に位置する、全長約12kmの砂浜が続く長浜海岸を中心に約1,400頭、種子島全体で約2,700頭が上陸し、初めて上陸日本一となりました。
鹿児島県は昭和63年にウミガメ保護のため、「ウミガメ保護条例」を制定しており、県民が一体となって保護を図るため、ウミガメ保護監視員を配置して保護に取り組んでおります。
毎年4月下旬から8月中旬までの期間で産卵が行われています。今年は4月30日に初上陸が確認されました。
地温の変化によって産卵から約60日程度で孵化が始まります。
その期間、地元の小学校などで孵化・観察を行ったり、夏休みには多くの子どもたちがウミガメについて学習し、子ガメの放流会を行ったりしています。
今年も家族向け、また島外者向けで放流会を行う予定とのこと。夏休みの思い出にいかがでしょうか。
※中種子町ウミガメ保護監視員:笹川二成様に協力頂きました。ありがとうございました。
結果は優勝!・・・とはなりませんでしたが、初出場4位と大健闘。
当日は天候が心配され、筆者試合中に一時雨で中断となったものの、最後まで屋外で試合をすることができました。
出場された方々、おつかれさまでした。
ち上げられました。日本初の商業衛星ということで、注目されました。
この写真は当社従業員のI養さんが西之表市の天女ヶ倉にて撮影したものです。
ロケットが力強く宇宙へ向かって飛んで行くところで、さとうきび畑や木々の緑で海や空の青さが際
立っています。
1段目の写真:大漁賞 H高様 オナガグレ 4匹
2段目の写真:大物賞 T馬様 クロ(グレ) 28cm
当日は水温が暖かいためか、エサ取りが多く苦労したとのことでした。
険しい状況での良釣果、おめでとうございます!!
大変おつかれさまでした。
デビューから1年が過ぎました。